「biographer」の意味(noun)
品詞(英単語での分類):名詞
【特定の人の人生の物語を書く人】意味として使われています。
和訳:【伝記作家】
参考:「biographer」の例文一覧
「biographer」のネイティブ発音(読み方)を聞きましょう!
読み方は【baɪˈɒɡ·rə·fər】です。下記動画を聞きながらbaɪˈɒɡ·rə·fərを大声で発音しましょう
【絶対聞こう】アメリカ人が「biographer」の意味について解説】!
「biographer」の類語一覧です。順番に覚えましょう!
「biographer」は複数の異なる意味を持った英単語です。それぞれの意味と使い方などを例文から解説しましょう!
英語 | 意味(和訳) | 詳しく解説! |
biographer | 伝記作家 | (writer of [sb] ‘s life story) |
biographerの実際の意味・ニュアンス(伝記作家?伝記作者?でんきさくしゃ?を理解して、正しく使いましょう!
According to biographer Donald Spoto, she was “arguably the most international star in the history of entertainment”.
バーグマンの伝記作家ドナルド・スポート (en:Donald Spoto) はバーグマンのことをエンターテインメント史上、もっとも国際的なスターであることは間違いないとしている。
Bevin’s biographer Alan Bullock rejected suggestions that Bevin was motivated by personal anti-Semitism.
ベヴィンの伝記作家アラン・ブロックは、ベヴィンが個人的な反ユダヤ主義によって動機づけられていたという意見を否定した。
This, according to biographer and historian Roland Huntford, amounted to a revolution in polar travel methods.
伝記作者かつ歴史家のローランド・ハントフォードに拠れば、これは極地での移動方法として革命的なことだった。
The construction was directed by Giorgio Vasari (known more as a biographer than as an artist) between 1562 and 1564.
ルネッサンス芸術家の伝記作者としても有名なジョルジョ・ヴァザーリが建設を指揮した(1562-1564年)。
Another biographer, William Innes Homer (b. 1929), was more reserved and described the poses of the figures as rigidly academic.
べつの伝記作者ウィリアムズ・インズ・ホーマー(William Innes Homer)(1929年 - )は、より遠慮がちで、そして諸人物のポーズを厳格に学究的であると評した。
According to his biographer Pekka Hako, he died on October 2, in the early hours of the day.
彼の伝記作家のペッカ・ハコ(Pekka Hako)は、彼は10月2日の早朝に息を引き取ったとしている。
As biographer Thomas N. Baker wrote, Willis is today only referred to as a footnote in relation to other authors.
伝記作者のトマス・N・ベイカーは、今日のウィリスが他の作家に関連する脚注でのみ言及される者だと記している。
De Peyster’s biographer devotes six chapters to his benefactions, but does not mention his ethnological collections.
ド・ペイスターの伝記作者はその寄付について6章を割いているが、その民俗学的蒐集品については記述していない。
Scott’s biographer David Crane describes Cherry-Garrard as “the future interpreter, historian and conscience of the expedition.”
スコットの伝記作者デイビッド・クレーンはチェリー=ガラードのことを遠征隊の後の通訳、歴史家、良心と表現している。
According to Wild, the expedition ended “quietly”, although his biographer Leif Mills writes of enthusiastic crowds in Plymouth Sound.
ワイルドに拠れば、この遠征は静かに終わったが、その伝記作者リーフ・ミルズはプリマスサウンドにおける熱狂的な観衆について記している。
According to Grimaldi’s biographer Andrew McConnell Stott, it was one of the most important theatrical designs of the 1800s.
グリマルディの伝記作者アンドリュー・マコーネル・ストットに拠れば、1800年代で最大級に重要な劇場デザインだった。
He enjoyed parties, and according to his biographer Linda Wilson, he often drank substantial quantities of alcohol.
パーティーを楽しみ、そしてビコの伝記作家リンダ・ウィルソン(Linda Wilson)によれば、彼はしょっちゅう大量の酒を飲んだ。
A later biographer wrote of the painting that the men “performing their required tasks, immediately engage our confidence in their competence to deal effectively with any situation the treachery or violence of the sea may produce.”
のちの伝記作者は絵について、男らは要求される仕事を遂行し、海の当てにならなさと暴力が生むかもしれないいかなる状況にも効果的に対処する彼らの能力に対するわれわれの信頼をただちにあつめる。
According to Rodgers biographer Meryle Secrest, Holtzmann was worried that Lawrence’s career was fading.
ロジャースの伝記作家マール・シークレストによると、ホルツマンはローレンスが落ち目になってきていることを心配していた。
This, says Amundsen’s biographer Roland Huntford, was “enough to generate suspicion and low spirits”.
アムンセンの伝記作者ロランド・ハントフォードはこのことを疑念を生み、士気を下げるには十分と言っていた。
According to biographer Julie Phillips, the suicide note Sheldon left was written years earlier and saved until needed.
伝記作家 Julie Phillips によれば、シェルドンが残した遺書は数年前から用意されていたものだったという。
Napoleon’s biographer, Felix Markham, wrote “the partition of Venice was not only a moral blot on the peace settlement but left Austria a foothold in Italy, which could only lead to further war.”
ナポレオンの伝記作家、フェリックス・マーカム(Felix Markham)は、ヴェネツィアの分割は和平調停の道徳的な欠陥であっただけでなく、オーストリアにイタリアへの足場を残していた。
Robert E. Lee’s biographer, Douglas S. Freeman, asserts that the army received its final name from Lee when he issued orders assuming command on June 1, 1862.
ロバート・E・リーの伝記作家であるダグラス・フリーマン(Douglas S. Freeman)によると、北バージニア軍の名称が正式なものとなったのは、リーが軍司令官に就任した1862年6月1日のことであった。
According to Lincoln biographer Carl Sandburg, Stevens stood at a railroad bridge and lifted his hat.
リンカーンの伝記作者カール・サンドバーグに拠れば、スティーブンスは陸橋の上に立って、帽子を挙げたとしている。
His cousin and biographer later wrote that the expedition was “the creation of his brain, the product of his persistent energy”.
マーカムの従兄弟の伝記作者が後に、遠征隊はかれの脳の創作物、継続したエネルギーの産物と書いていた。